1月5日は「沈黙の瞑想」でした。
なんと、6時間半ぶっ続けで瞑想を行いました。
プチファスティングでランチも無しで、
今年は休憩も無しで行いました。
床に座る坐禅, 椅子に座る瞑想、立って行う立禅、
床に横になって行う横臥禅を混ぜて行います。
その間に、ゆっくりと歩く歩行禅を入れての瞑想も満喫した1日でした。
現代人には坐禅の姿勢で長く瞑想するのは、身体に負担がかかり過ぎます。
いろんな形で行うのは、身体に余計な負担がかからないようにする意味と、
身体を動きながらでも、どんな形でも瞑想できる様にするためでもあります。
沈黙の瞑想の日は、瞑想方法を学ぶためではなく、とにかく一杯、みんなで瞑想するという目的です。
特別に瞑想方法は指示しないで、参加者がそれぞれの瞑想方法で行います。
僕も含めて、誰も言葉も音も出さない沈黙の1日です。
外部には言葉にはしなくても、自分の中で自分と雑談をしているものですが、
これも出来るだけ止めようとします。
例年の沈黙の瞑想の日には、休憩があったり、沈黙のまま街に出たりするのですが、
今年はグループのエネルギーと部屋のエネルギーが何故か、それが必要で無かった様で、
ずうっと部屋で瞑想になりました。
瞑想の時間は、長いものは1時間ほど、短いもので20分ほど。色々混ぜて行います。
事前に、30分の瞑想だとわかって行う場合と、
どのくらいの時間になるかが分からない瞑想では心持ちが違ってきます。
その時その時を、もっと大切にする経験もすると思います。
終わってから30分ほど、自由に話をしました。
なかなか雑念で大変で、瞑想ができていなかった感じがする。
寝てしまったことが多かったようだ。
身体が落ち着かなくって、上手くいかなかった。
こういう経験は全く初めてなのに、後半からは何か気持ちが良くなってきて、もっとやりたい気持ちだ。
など、いろんなフィードバックがありました。
これほど長く続けて瞑想を行うと、どんな人でも深い瞑想の時間があるはずです。
ずうっと何かを考えているとか、ずうっと肩が痛いということはないはずです。
ただ、普通の意識は、深い瞑想を意識できるようにはなっていません。
何も起きてない感じを、認識することは、かなり難しい。
出来ていないとか、身体が痛いとか、そういうことは、認識しやすいわけです。
深く自分の潜在意識に入っていることを認識できるようになるには、それなりの訓練が必要です。
参加者みんなそれなりに、かなりの時間、瞑想のモードにいたはずです。
感情的にも、思考的にも、身体的にも。
休憩もなく、こんなにかなり集中して瞑想できたのは、素晴らしい、と感激しました。
参加者の皆は、自分に「良くやった」と深層心理と深層身体に、堂々と言ってあげてほしいと思います。
これだけの修行を、神田の街のど真ん中で、気軽にしたことに僕自身も驚いています。
これだけの瞑想をすると、心と身体の深層部にかなり染み込んでいます。
これから毎日15分でも続けると1ヶ月後には、もうっと明確な瞑想体験に繋がります。
素晴らしい沈黙の瞑想の1日でした。
参加者の皆、ありがとう。
自分に自信を持って、「瞑想したぞ」と静かに褒めてあげてください。
一人では、本当にできない瞑想でした。
瞑想のプロでも、こんなにはなかなかできません。
それを、カジュアルにできてしまうTaoZenの仲間は、素晴らしい。
今年2025年は、もっと瞑想を多くの人に広めたい、
自分の瞑想も深めていきたいと決意しました。
「沈黙の瞑想、プチファスティングの1日」
https://taozen.jp/workshop/silence-meditation-day2025/