サレンダー(surrender、委ねる)ということは、僕にとっては大きなテーマだ。
いわゆるギブアップするとか、諦めるというのではなく、積極的に委ねる、
神がいたら神に任せるとか天に委ねるというイメージ。
そのためには、かなりやり切ることが必要。
そうして、天に任せる。
やるだけのことは、自分なりにやる、そうじゃないと任せることができない。
自分なりにやろうとしてもできないこともある、
それもある意味では、やりきった感じだと思う。
それじゃないと、委ねられない。
一つの瞑想を行うことでも同じ事が言える。
なんであれ、その時に選んだ、あるいは出会った瞑想方法を、疑わずに、魂込めて、一生懸命やることが大切。
でも込めすぎたり、真面目になりすぎたりしないことも大切だ。。
信じ切ることと、信じないことの両方を持つことが大切です。
(この事については、また別の時に)
その後に、積極的に任せる。余計なことはしない。邪魔をしない。
そうすると深い瞑想に入っていく可能性が高いのです。
深い瞑想は、作り上げるのではなく、ある程度まで自分を高めて、
後はやってきたら堂々と受ける。
やって来なければそれはそれで充分、全く駄目でも無駄ではない、というものだ。
僕は、瞑想や旅や試験や人間関係で、サレンダーということを実感してきた時には後悔がない。
きっとどんな事にでも、些細なことでも自分が価値を見出しているものならば、
このサレンダーがなされた時には、結果を超えて満足だった。
サレンダーの前の、模索というか努力というか集中というか、それはとても大切だ。
なんと呼んだら良いのだろうか、エフォート(effort)と呼ぼう。
それにしても、どうして英語にしたりすると、ちょっと気楽な感じになるのだろうか?
このエフォートがとても大切。
どんなエフォートをどうしたら良いかということの情報や方法論は色々ある。
でも、もっと肝心な、その後のサレンダーについてはあんまり書かれたり、訓練がされていないように感じる。
そもそもが、僕たちの人生は自分で切り開くところはあるけれど、
大きなところから見るとほとんどコントロールが効かない。
だから結果だけでは満足度は測れない。
自分が予想していた以上の結果が出てきたり、ガッカリの結果が出てきたりする。
そこが面白い。
長く書いたけれど、7月のサレンダー瞑想は、一体何をするかと言うと:
瞑想でもサレンダー瞑想を行う。
具体的にこの1ヶ月の生活は
意識してエフォートとサレンダーを区別して生きてみる。
恋愛でも良い、仕事でも良い、人間関係でも良い、健康についてでも良い。
些細なことでも、でっかいテーマでも良い。
参加者みんながサレンダーを意識して生きてみる。
それを毎週、チェックしながら瞑想を進めていく。
だから、普段の瞑想や呼吸法を学んで練習するというワークショップとは
かなり違うところがあり。
きっと、自分にも、他の参加者の中にも、発見があるはず。
ぜひサレンダーのマジカルなパワーを一緒に実感しませんか。