Christo が亡くなった。 「風」を感じる。

クリストが亡くなった。

彼は、クリストという苗字なしの名前で知られていた。

奥さんと一緒に作品を作るので、Cristo and Jeanne-Claude (クリストとジャンヌ・クロード)として

知られていた。

今世紀を代表するコンセプショナルアーティストだ。

 

84歳で5月31日に亡くなったというニュースが入ってきた。

まだ84歳だったんだというのが僕の最初の気持ちだった。

そして、すぐに不思議な「風」を感じた。

 

僕がよくNYのクラブに行っていた頃、よくこの夫婦を見かけた。

その頃、僕にとってはクリストとジャンヌ・クロードはもうかなり年寄りに見えた。

90年代前半だったと思う。

広告代理店に勤めていたけれど、週に2回くらい朝方までクラビングをしていた。

パラディウムとか、エアリアとか、トンネルなどが流行っていた。

踊るのが好きなわけでもなく、酒を飲めるわけでもないけれど、一番とんがっている何かがそこにはあった。

一人で出かけても、どこかで知人と出会うという感じだった。

 

バカでかい音が出る前の大きなスピーカーの前で、一度クリストたちと話したことがある。

彼らが有名人だということは後で知った。

彼女は、お婆ちゃんに見えたけれど派手な格好をしていた。

彼は地味な服だった。

二人とも意外と、もの静かな話し方だった記憶がある。

特にアルコールもドラッグもしていない感じだった。

僕もアルコールにもドラッグにもアレルギーだ。

どうしてあんなに大きな音の前で話ができたんだろう?

今は、テレビの音が少しするだけでも会話ができないのに。

 

2005年、彼らがセントラルパークいっぱいに

朱色の大きな旗がぶら下がるゲートを建てたインスタレーションアートを仕上げた。

7、503ものゲートだったらしい。

僕には、旗のついた鳥居のように見えた。

伏見稲荷が、セントラルパークに現れたみたいな印象が最初だった。

 

その頃、僕はとても落ち込んでいた。

NYに一人で住んでいると、もうどうしようもないくらいに落ち込むことがある。

35年ほど住んでいて、大きな落ち込みが5回ほどあった。そのうちの一回の時期だった。

よくセントラルパークに行ってイアフォンで音楽を聴きながら、寂しく歩いていた。

寒い頃だった。

 

突然、オレンジの旗がセントラルパークの至る所にできた。

その下を潜って、何度も歩いたことを思い出すと、今でも胸が痛くなる。

冬のセントラルパークは、白黒の映画のような景色になる。

そこに大変な数のオレンジのゲート。オレンジは、僕の大好きな色。

確か僕の誕生日の頃だった。

 

なんでも良いから、とにかく大袈裟に包んだりするパフォーミング性と

アイデア性の高いアーティストだと思っていたところがあった。

ところが、実際にこの朱色のゲートを歩いていると、ただのアイデアだけじゃない、

何か違うと感じた。

そこには、不思議な「風」が通っていた。

 

僕の落ち込みや寂しさが癒されるわけではないけれど、明らかに風が僕の魂を通り過ぎた。

「風」という表現しかできないけれど、不思議な風が通り抜けることがある。

一生忘れないような風。

 

「風」は、僕にとっては大切なイメージだ。

呼吸法でも、瞑想でも、人間関係でも、訪れる場所でも、大切なコンセプトだ。

 

ジャンヌ・クロードが亡くなってからも、クリストは制作意欲は充分で、

アブダビに世界で最も大きなアートを作るプランや、もう一度パリの凱旋門を包むプランなどが動いていたと聞く。

大きな音を出す巨大なスピーカーの前に座っていたクリストとジャンヌ・クロードに何気なく話しかけて、

一緒に座り込んだ数分が、今になって味わい深い時間になるとは、その時には思ってもいなかった。

 

「風」は忘れられない香りをときどき運んでくれる。

 

2020-06-23T12:59:53+00:00 2020年06月02日|