「瞑想は、どのくらいの時間を行うのが良いのですか?」
とよく質問されることがあります。
いろんな風に答えています。
「量よりも質です。なんでもそうですが、
長い時間やっているから、言い訳ではないです。
今は皆んな忙しいから、質で勝負ですよね。
とはいえ、
『1分瞑想』という本を書いた僕がいうのも変ですが、
15分くらいは最低欲しいですね。」
みたいなことで話すことが多い。
僕が瞑想を学び始めた頃には、
禅でも、密教でも、インドの瞑想でも、
一回の瞑想の長さは、だいたい45分から60分でした。
今では、それでは大変に長い瞑想な感じになっています。
15分とかが多いですね。
それだけ、僕たちの生活が忙しなくなって来たのかもしれない。
集中力が続かなくなってきたのかもしれない。
でも映画の長さは、却って長くなっているよなあ。
一つ一つのカットは短くなってきている傾向があるけれど。
時々は、
45分以上の長い瞑想をしてみるのを、お勧めします。
そのくらい長く瞑想をしていると、
たくさんの雑念や妄想や、身体の痛みや、
どうにも不思議な眠気など、いろいろ経験もできます。
と同時になんともいえない不思議な静かな時間と空間もやってきます。
そう、やってくるんです。
こっちから求めて探すというよりも、やってくる感じです。
そのなんとも不思議な静かな時間と空間が、瞑想の味わいです。
長い瞑想をすると自分が気がつかなくても、
そういう時間と空間が必ず経験しているはずです。
もしかしたら、
1分だけ1回だけかもしれないし、5分が2回くるかもしれないのです。
瞑想が上手ということの一面は、
そういう静かな時間と空間に気がつき持続できるということでもあります。
最初は、気がつかないで、とにかく辛かったとか、ずうっと考えていたとか言うのですが、
一時間もずうっと考えていたとか、痛かったと言うことはまず珍しい、
きっと経験しているけれど、認識ができないということでしょう。
次のレベルは、それに気がつくのですが、
気がついて、ああこれじゃないか、と思った途端、
逃げられてしまうのです。
良いなあと思った途端に、それを外側から見ていたり、消えてしまって
ただ、考えているとかになってしまうんです。
第三のレベルでは、
それに気がついて、しかも、持続できると言う状態になります。
だからと言って、いつも来るわけではなく、
来る時をコントロールできるわけでもない。
でも上級者は、呼ぶのが上手い。
来る気配がわかる、来たこともわかる。
そして、一緒に瞑想をしている人も呼び込むことができるところがあります。
その上のレベルの人は、きっといつでもどんな時でも、
その不思議な静かな時間と空間と繋がっている
という状態を保てる人です。
そう言う人は、自然に周りの人も引き上げる才能があります。
僕自信は、
どうも第三レベルの中の初級になったり、
上級になったりする瞑想者のようです。
絶対にその上のレベルには居ないことは確かです。
だから、いろいろ説明なんかできたりしているわけです。
とにかく、比較的長い瞑想を時々はやってみてほしい。
しかも、他の瞑想者と一緒に行うと、本当に味わい深い。
味わいの深いものを何度も経験することが、
重なって自分のものになるのだと思います。
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12月18日の瞑想の会は、
歩く瞑想と座る瞑想の比較的長いものを
一緒にやってみるワークショプです。
初心者でも、経験者でも、大歓迎。
もしかしたら、大変な覚醒があるかも。
きっとそれを覚えて居ないだろうなあ。
でも、どこかにちょっとだけでも滲み込むんです。
身体や心のどこかに。